令和5年5月号会報「東基連」編集後記

小学校の3年生か4年生の時。2歳違いの弟と一緒に「肩たたき券」を作った。弟は鉛筆を握りしめ、平仮名で「かたたたきけん」と書いた。母の誕生日だったのか、それさえも覚えていない。ただ、二人で渡したその贈り物に、驚き、喜んだ母の笑顔は、今も鮮やかな記憶として蘇る。
長じて自分が親の立場になると、親が子供を心配する気持ちは、言葉に出来ないほど切ないものであることを知る。仕事に出た息子の帰りが遅くなった夜、「何かあったのかしら」と不安気に呟く妻の姿。その呟きは、息子が帰宅するまで何度となく続いた。息子が20歳代後半となり、帰りが遅いと親が心配する歳をとうに過ぎても、呟く妻の姿は変わらない。
ある企業の人事担当役員のこの言葉は、多くの人の心に残っている。「全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう」(2012年1月30日:厚生労働省:職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキンググループ「報告」)。
「自慢の娘であり、息子であり」との一節。ここには父母の眼差しがある。労働契約関係を別の角度から見れば、働く全ての人は、親御さんから預かった大切な娘であり息子であると。その父母の思いに応えるためには、安心できる安全で快適な職場環境が求められる。
5月の第2日曜日の「母の日」。今年は5月14日。この時ばかりは子供に戻り、今は亡き母へ贈る「母の日」の贈り物を用意しよう。その中に、自分らしく働く、ありのままの私自身を加えたい。手作りの「肩たたき券」を、あれほどまでに喜んでくれた母は、どんな私でも喜んでくれるに違いない。
小太郎