令和4年8月号会報「東基連」 雑感

東基連(東京労働基準協会連合会)本部の事務室の書架に、一冊の絵本が収められたのは昨年の夏のこと。
日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故で、当時9歳だった次男を亡くされた美谷島邦子さんが文を綴られ、絵本作家のいせひでこさんが絵を描かれた「けんちゃんのもみの木」(発行所:BL出版㈱。2020年10月1日:第1刷発行)。
絵本の帯には「日航機事故から35年 母がつづった 命の重さを伝える絵本」と。また、裏表紙の帯には「一人ひとりのいのちの重さを伝え歩いた母の軌跡」とも。
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故が起きたのは、1985年8月12日。あれから37年。
犠牲者を慰霊する「御巣鷹山慰霊碑(招魂之碑)」と「慰霊の園」は、墜落した群馬県上野村に設けられている。「慰霊の園」には合掌を模った慰霊塔と、慰霊塔を取り囲むように半円形に犠牲者の氏名を彫り込んだ石碑が。
幾度となく訪ねたが、石碑に彫り込まれたお一人おひとりのお名前を、祈りを込めながら読み進んでいくと、やり場のない怒りと、言うに言われぬ哀しみが込み上げて来るのが常であった。
事故調査委員会は、本事故の原因を次のように結論された。「不適切な修理に起因しており」、「点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される」(事故調査報告書)と。
示された原因と、そこから引き起こされたあまりにも悲惨な結果。
労働安全衛生の傍らに立つ者の一人として、安全に関わる全ての行為が、どのように軽微に見える事であったとしても、人の命と直接に結び付いていることを、改めて強く教えられた思いだ。
これまでの職業生活の中で、ある上司から教えられ、大切にしていることが一つある。それは、「常に説明責任を意識して行動する」と言うこと。
その上司からは、行動に至った理由の説明を常に求められた。「何を根拠としたのか?」。「その根拠をどのように解釈したのか?」。そして「その解釈をもとに、そう判断した理由は何か?」。更に「その理由が合理的に正しいことを説明しなさい」と。
実施する事案はもとより、実施しない事柄についても説明を求められた。そして、「他者に説明出来ないことはしてはいけない」。また「行動しないことについて説明出来ないのであれば、直ぐに行動しなければならない」とも。
上司が求めたのは、「自分の行動について、自分自身に対しても他者に対しても、しっかりと責任ある説明が出来るのかを、常に自身に問い掛けていきなさい」と言う事であったように思う。
日航ジャンボ機墜落事故は、人の命の重さと、大切な人を失う悲しみを、白刃のように私達に突き付けた。
そして、「安全」に関しては、どのような小さなことであっても、懸命に真摯に取り組んでいくことの重要性を示した。
労働の現場において、危険リスクがゼロの業務は無いであろう。どのような職場においても危険リスクが存在するのであれば、係る人々がどのように安全を意識していくかが重要となる。安全を担保するツールの一つとして、「常に説明責任を意識して行動する」ことは大切だと感じる。
そして、行動のその判断基準の基底部にあるのは、他者の命への限りない敬意に基づく思いやりの心であろう。520人の犠牲者のお名前を彫り込んだ「慰霊の園」の石碑の前に立つ時、人は鎮魂と畏敬の念の中で、命の大切さを心の底から実感する。私はそうであった。
絵本「けんちゃんのもみの木」の裏表紙の帯には「また いつかきっと あえるよ」とある。美谷島邦子さんは絵本の最後で、御巣鷹山が様々な悲しみを抱えた人たちが集う山となったことに触れ、これからも安全の鐘を鳴らしていきたいと述べている。
8月12日は、鎮魂の祈りを捧げ、安全への思いを深める日としたい。
(小太郎)

令和4年8月号会報「東基連」編集後記


夏を詠った好きな和歌を問うと、同僚は平安時代末期の歌人・式子内親王(しょくしないしんのう)の一首をあげた。
「すずしやと 風のたよりを 尋ぬれば しげみになびく 野べのさゆりば」【風雅和歌集402】。『通釈』― 風のたよりが届き、涼しいことよと、そのゆかりを尋ねて行くと、繁みの中で靡いている野生の百合の花に出逢った。―背景に暑い夏を置いているからこそ、涼風の爽やかさが更に増す歌と。
その夏であるが、今夏は熱中症による救急搬送が激増している。当会報の先月号では、東京労働局健康課の「STOP熱中症 クールワークキャンペーン」を掲載。「労務・安全衛生深掘り探訪記」と「ちょこっと用語」では先月号、今月号と2回に渡り、熱中症の危険性と対策の重要性を訴えた。ある程度は予想されていたが、今夏の気温は命に関わる危険レベルに達しているようだ。
格言に「神は細部に宿る」とある。「細かい部分までこだわり抜くことで、全体としての完成度が高まる」と解釈されている。熱中症対策について準備を進め、迎えた8月。本番真っ只中にある今、小さな事象にも敏感に反応していきたい。職場内の微かな違和感をも見逃さず迅速に対応することが、命を守る重要な武器となろう。上位の職位に在る者は、徹して職場の状況を注視する日々であって欲しい。
水を微細な霧にして噴射するミストシャワー。その霧が、行き交う人々の頭上を舞う光景をよく見かける。水が蒸発する際の気化熱の吸収により、周辺温度の冷却を行うと。あらゆる環境で、夏の暑さを味方に変える工夫を重ねた夏でありたい。
渓流の足首まで濡らす冷たい水の流れ。滝壺から上がるマイナスイオンに充ちた飛沫(しぶき)の煌めき。高原を駆け抜ける爽やかな涼風。暑いからこそ感じる、夏の輝きを大切にしながら。
小太郎