令和5年10月号会報「東基連」編集後記

薄の穂が膨らみ、艶やかに輝く栗が店先に出回る季節を迎えた。栗と言えば「ごんぎつね」を思い出す。昭和7年、児童文学作家の新美南吉が18歳の時に雑誌「赤い鳥」に発表した「ごんぎつね」。小学校の国語の教科書にも採用されており、懐かしく思い出す人も多いに違いない。
一人ぼっちの悪戯好きの小狐ごんは、兵十が川で捕った鰻や魚を逃がしてしまう。10日ほど経って、兵十の母の葬列に出会ったごん。自分が逃がした鰻は兵十の母が食べたいと願い、それに応えようと兵十が捕った鰻であると思い、「あんな悪戯をしなければ良かった」と後悔する。そして、栗を拾って兵十の家に毎日届けるように。自分と同じく一人ぼっちになった兵十に自らを重ね、寄り添おうとするごんの姿が健気でいじらしい。
秋、野山から贈られる宝物は幾つもある。岐阜県西濃地域に住む先輩から、名産の富有柿が届くようになって久しい。何十年も前に初任地で出会い、お世話になった先輩。今も変わらず、真摯に真剣に生き抜く姿に勇気を頂いている。
北信濃への赴任経験を持つ知人から、長野県の友人から頂いたという小布施の栗のお裾分が。「たった2年間、職場を共にした関係だが、生涯の友を得た」と。「贈られた栗は、何よりも甘く、元気が出る」とも。
人との出会いを大切にしたい。職場であれ地域であれ、短い期間であったとしても、共に過ごす時間の中で理解し励まし合う関係へ。大切なのは相手を思う真心と、それを行動で示すこと。そう、ごんが届けたのは栗だけではない。 
(小太郎)