令和5年6月号会報「東基連」編集後記

上司から渡された紙片は、私と同年輩の女性が投稿した新聞記事の切り抜きだった。8年前の4月、息子さんを突然の事故で亡くされた。事故の原因は書かれていなかったが、桜散る季節のなか、意識不明の状態が2週間続き、桜が散った後、静かに23年の生涯を終えたと。「物言わぬ息子の顔をじっと見る。もう涙は枯れ果てていた」とも。そして、文章の最後は、「息子が見られなかったものを、この目で見るために、まだまだ生き続けるつもりだ」と結ばれていた。
ある製造工場の安全パトロールに同行した際のこと。年輩の社員が若いメンバーに対し、危険個所を覆うカバーの不備を強く指摘する場面に出会った。「巻き込まれたらどうなる。お前の指は、手は、身体は、お前だけの物じゃないんだぞ」。危険から命を守る場に、「真剣」以外の言葉は不要である。年配の社員の厳しい口調からは、仲間を守らんとする強い意志が伝わってきた。
「労働災害は、不安全な状態と不安全な行動が交差する時に発生する」と言われている。そして「人間はミスをする生き物である」とも。そうすると、災害が発生する可能性が無い職場は存在しないことになる。業種・職種を問わず、どの職場でも起こり得ると。しかし、それでも私達は労働災害の防止に挑む。
14次防がスタートし、安全週間準備期間も始まった。行政機関、関係団体、そして企業等の関係者は、改めて強く決意したい。「死亡事故・重大災害は絶対に起こさない」と。来年の、そしてその先の未来の、桜が咲き舞い散る光景を、輝く新緑の風景を、共に見るために。
小太郎
※文中「新聞記事」:令和5年4月13日付け 朝日新聞 朝刊「ひととき」欄・「桜散る季節に」