令和4年4月号会報「東基連」 雑感

「労災隠しは犯罪です」とは、稀代のキャッチコピーだと感じているのは、私だけではないだろう。
労働基準監督署など労働関係機関を訪れた時、黄色をバックに黒色の文字で、この言葉が描かれたポスターが壁などに掲示されているのを見たことがある人も多いに違いない。
何故、「労災隠し」が「犯罪」なのか。ここで示された「労災隠し」とは、一義的には労働災害が発生した際の療養補償給付や、休業補償給付等を労働基準監督署に請求しないことにより、労働災害の発生を労働基準監督署に覚知させないことを意味している。
勿論、労働災害に係る補償義務は、まず事業主が負う。但し、被災労働者等が労働基準監督署に請求した場合には、労働基準監督署長の決定により休業補償給付等が国から行われる。事業主が被災労働者に「労働者災害補償保険法」等で定められた法定の補償等の支払いを行うことを約束し、被災労働者がそれを受け入れ、労働基準監督署に労災請求手続きをしないこと自体は、問題ではない。
しかし、労働安全衛生規則第97条では、死亡又は休業4日以上の労働災害については「労働者死傷病報告(様式第23号)」を遅滞なく所轄労働基準監督署に届け出ることを義務付けている。休業4日未満の労働災害については「労働者死傷病報告(様式第24号)」を四半期に一度、同様に所轄労働基準監督署に届け出ることも。事業主が労災補償の費用を全面的に負担するとしても、この報告義務を免れる訳ではない。
東京労働局のホームページを開けば、労働基準監督署が司法事件として東京地検に送致した事例が公開されている。その中には、労働者死傷病報告の未提出や、虚偽の内容を記載した労働者死傷病報告を提出したこと等により、労働安全衛生法違反として送致された事例も含まれている。これが、「労災隠しは犯罪です」と言われる所以である。
これらの事例を見るに、パート・アルバイトなどの非正規労働者や外国人労働者に係るものも散見されるが、労災補償を全く行わなかったものは多くはないという。当初は事業主が医療費、休業手当等を負担しているが、休業期間が長期化するにつれ、事業主の支払いが滞り、やがて支払われなくなり、困窮した労働者が労働基準監督署等に相談することにより発覚する例が多いとも。
建設現場で発生した下請業者所属作業員の労働災害について、元請に知られるのを恐れ、元請職員に報告せず、救急車を呼ばずに自家用車で病院に運んだ例も。あるケースでは、被災労働者の休業の長期化により経済的に困った事業主が、自社の倉庫で発生したことにして労災請求。合わせて虚偽の労働者死傷病報告を提出。労働基準監督官が災害発生地とされる倉庫を訪ねた調査の際にも、虚偽の説明を重ねた。辻褄が合わない説明に、不審を感じた担当官の質問にも白を切り通したが、後日の聴き取り調査での追及に観念して虚偽報告を認めたと。
労働者死傷病報告への記載を求められる事項には、「災害の発生状況」等と共に「原因」がある。原因を特定する中で、当然「再発防止対策」の検討も行われる。
有名な「ハインリッヒの法則」によれは、統計的に重大事故、軽微な事故、ヒヤリとした事例は1対29対300の確率で発生すると。事故には至らなかったがヒヤリとした事例300件の積み重ねの先には、29件の軽微な事故が発生しており、その先には、死亡災害を含む重大な事故が1件発生している。
将来に発生する重大事故を防ぐためには、ヒヤリ体験と軽微な事故について、その原因を究明し、そこから導き出される再発防止対策を徹底していくことが何よりも重要だとは、労働災害防止の基本中の基本である。労働者死傷病報告の作成にあたり、労働安全衛生法が求めている「原因」の記載も、その事業場で同種の災害が二度と起きないことを求めてのことであろう。
労働災害が発生したにも関わらず、その発生を隠し、結果として発生原因を究明せず、再発防止対策を講じなかったとするならば、それはどういう意味を持つのか。講じていれは発生を防止できたかもしれない、未来の何処かの時点で起きる死亡・重大災害。その発生を防がないという決断を、意図的にしたこととなるのではないか。被災者が誰になるのかは分からない。しかし、未来のある日に発生する死亡・重大災害の起動スイッチを押したとするならば、労働者死傷病報告未提出という法違反に留まらず、「犯罪」と強く糾弾されても仕方がないことであろう。
ただ、労災隠しが、自己の保身と目先の利害に囚われた、長期的に見れば何の利益も生み出さない行為であると断ずるのは言い過ぎかもしれない。人間、誰もが陥る陥穽に、偶々、足を取られたとの側面もあろう。では、この陥穽に陥らないためにはどうしたら良いのか。
4月。多くの企業、団体等では、新規採用の社員等を迎え入れる時期。私が就職した時、配属先の直属上司から最初に言われた言葉は、「悪い報告ほど早く。」であった。「良い報告は後でもいい。悪い報告ほど早くだ。」と。
どのような組織であれ、活動していく上での「情報の共有」の優先順位は高い。特にコンプライアンスの重要性が求められている現在、何が起きているのか、何が起きたのか、それにどう対応するのかは重要なポイントであろう。そのためにも「正確な情報の共有」と「スピード」が要請されている。
それは、組織を構成する個人に強く求められると共に、報告しやすい組織であるのかが同時に問われることでもある。では、不都合な悪い事柄を躊躇なく報告できる組織とはどのような組織か。様々な考えはあろうが、遵法意識の高い、ハラスメントの無い、一人ひとりを大切にする、深い信頼関係で結ばれた職場であることが一つの答えかもしれない。
新しい年度の始まるこの時期。新たに仲間となるメンバーに、正確でスピード感のある報告の重要性を伝えると同時に、構成員が不都合な悪い事柄を躊躇なく報告できる組織であるのか、改めて自身の所属する職場を見つめることとしよう。
4月1日。新年度のスタートとなる職場の打ち合わせ会議。まず「悪い報告ほど早く」を共通認識とするところから始めたい。            
  (小太郎)